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この選好にはもちろん+分の理由がある。
だが、このシステムは企業の論理からみて、それ固有のつよみはあるものの、状況によっては年功という概念に対する労働者の平等主義的な期待をみたすような運用がおこなわれて、選別が甘くなる可能性もひそめていた。 経営者の考えるところ、いまやその甘さは、円高を中心とするきびしい企業環境のなかでは払拭されねばならない。
そこで経営者はいま、管理がとかく甘くなりがちだったホワイトカラー部門を中心に、部分的に実績主義を導入するとともに、全体として潜在能力の評価もより個別化し厳格にしようと試みるのである。 これに続く一連の問いはほかでもなく、このような広義の能力主義管理の強化にたいする、ふつうのサラリーマンやOLの立場からみた評価をめぐるものである。

この「甘さの払拭」は彼ら、彼女らの労働生活にどのような影響をあたえているのか。 いま職場でなにが生じているのか。
そしてD生起していることは、能力主義と一緒にやってくると喧伝されることの多い「個性重視」や「個の主体性の確立」(日経連1995)を本当に保障するものなのか。 生産労働、事務、販売、サービス職などふつうの職業につく労働者にとっては、働きやすい職場というものが不可欠である。
多くの専門職についてさえそうだ。 私はそうした職場の条件として、長く働き続けてゆけるゆとり、助けあうことができるなかま、仕事の進め方に関する一定の決定権の3つをあげたい。
この3要素は、この20年ほどのプロセスのうちに企業社会のなかで徐々に稀薄にされてきたかにみえ、現時点の能力主義管理の急速な徹底化のなかでいっそう喪われようとしているかにみえる。 そして、かりにこのような問題意識をもって最後の設問を立ちあげるならば、Eいま労働者の側には、日本的能力主義とのつきあいかたを工夫することによって新しい環境のなかでも右の3要素を確保できる、いくらかの余地が残されているだろうか。
能力評価と賃金システムのヴァラエティ二つの区分、いくつかの側面をもつ労働者の処遇というものを、さしあたり賃金に集約してみる。 そのうえで賃金決定と能力評価の関係を考えてみよう。
この産業社会では、およそ賃金は、なんらかの意味で仕事遂行にかかわる広義の能力にもとづいて支払われている。 たとえ制度上は「身分」、性、年齢といった労働者の階層によって賃金がきまっている場合があるにしても、それは多分、それぞれの階層がそれぞれに「ふさわしく」割当てられた仕事をうまくできるという慣行と通念の上に立っているのである。
けれども、賃金決定において評価される能力のかたち、その評価の方法い評価全体のなかで能力の占める比重などは、国、産業、職業、それから時代によってまことに多様である。

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